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ゆるふわ系殺伐ブログ

劇場版魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語感想

恋みくじを引いたら、凶だった。

 劇場から出て目の前にあったものが恋みくじだったので、引いてみたら凶でした。でも内容は主にポジティブなことだったので問題なし。告られるのを待て、という内容だったかな…。バルト9に行く方は是非お試しを。


以下、叛逆の物語のネタバレ。映画を見た人用です。

全編を通して

 この物語は、暁美ほむらの絶望と憎悪に苦しみながらも失わなかった愛の物語である。愛のあるべき姿をの一つ描き切った脚本およびスタッフは本当にすごいと思うし、愛は恐ろしいものだなとつくづく思う今日この頃。

前半

 いわゆる謎解きパートな感じ。その中で、みんなが見たかった魔法少女まどか☆マギカが描かれている。「夜更かしは美容の大敵よ」という巴マミ(30)と思わしき発言から、魔法少女としての変身シーン。さらには劇団イヌカレーフィールドなどなどビジュアル的に楽しめました。ただ、個人的に前半20分ほどは先が見えなさ過ぎてもどかしさを感じてしまった。
 さやかちゃんが妙に成長していて(後の展開に効いてくるんだけど)、今思えば、この頃が一番幸せでした。
前半終盤の巴マミvs暁美ほむらは素晴らしいシーンでしたね。

後半

 ミルトンの失楽園よろしくな感じで展開されていく。無償の愛を届ける神まどかとまどかの唯一の愛を求めるルシファーほむら、そして神の使いであるさやかちゃん。
自らが迷い込んだ箱庭に気づき、その中でまどかのために自ら魔女になり、そして自らが愛したまどかを取り込み、新たな箱庭で幸せを得る。彼氏を部屋に軟禁して私が愛してあげるからねと言わんばかりの戦場ヶ原さんバリですね。CV同じだしいいんじゃない?とかそんなことは思っておらぬ。
 ほむらの求めた愛が、愛の一つの理想形なのだとしたら、愛は人を幸せにもするし、そして殺しもする。事実、愛は人を殺す。
その果てに、ほむらはまたしてもまどかとの日々を繰り返すことになるかと思うとこいつは本当に幸せなのだろうか?幸せなのだろう。少なくとも、わたしが愛したまどかが目の前に居続ける限りは。


 結果として、ほむらはいつ覚醒するかもわからないまどかとの理想の日々を送るというとてもハッピーエンドに落ち着いたわけで、それでいいのではないだろうか。彼女はちゃんと言い残している「いつかあなたと闘う日がくるかもしれないわね」と。うーむ、悪魔だ。
ヤンデレに新たなエッセンスが加えられたそんな気がした。

最後に

今まで、さやかちゃんにはお兄ちゃんが必要だよと思い続けていましたが、今回のさやかちゃんの成長っぷりがほんとに目覚ましく、ああ人って失恋して成長していくんだなと。死んで生きかえって成長するのだなと。
スピンオフやら次回作があるのならさやかちゃんが主人公の作品が出てきそうだし、やっぱりさやかちゃんがさやかちゃんでさやかちゃん…決して残念ではない。
真実を知るものとしての、天使のような立ち位置のさやかが最後にサタンほむらに真実を奪われるシーンはなんとも言えないもどかしさを感じたものです。ほむら、おまえがついさっきまで求めていたものを奪うんだね、といった具合に。不都合な真実には蓋をしよう。
さやかちゃんが可愛かったし、成長していたしお兄さんそれで満足だよ。


で、いい加減眠気によって取りとめのない内容になっているのでこの辺で。


追伸
 この愛ってどうなの?という感想もあるかと思いますが、自分はこの愛の表現はとても好きだし、この作品の終わり方にも納得しています。(見た直後は真顔でしたが。)
何をもってして綺麗な終わり方かというと難しいところですが、この愛は純粋でとても綺麗だと思います。故に歪むのですが。この辺り、さやかちゃんは大人になっちゃったよな…。
ふと、作曲梶浦さんだったので何かと思っていたらSee-Sawの「記憶」を思い出した。


追伸の追伸(10/27追記)
 ふと、失楽園ベースなのだとしたら、最後のまどかのいう秩序という言葉が、王権神授説に基づいてしまうので、それを破るものとしてのほむらの立ち位置ってかなり現代的な社会契約の形なのではないかと思った。2人だから社会じゃないんだけど。


メモ(10/30)
 ほむらちゃんが作り上げたマトリックスが、いわゆるまどかの目指した救済ではなく、自己目的のためであり、その価値を共有できない、既存の価値の破壊だからこそ理解できない部分があるのではないか。
愛の本質というものがその辺にあるのかもしれない。